2017年06月21日

社員旅行!

6月ブログ担当の業務課係長のYです。

6月10日(土)〜6月11日(日)の二日間で、社員旅行に行ってまいりました。
当日予定が有り参加できない人もいましたが、16人で行く事ができました。
行き先は関西(大阪・兵庫)方面、みんな楽しみにしていた事もあり行きのバスの中は朝から大宴会になりかなり盛り上がっていました。1.jpg
みんな軽快なリズムでお酒がゴクゴク口の中に入った事もあり、AM9:00にはでき上がっていました。
トイレ休憩も予定よりも多かった気がします(-_-;)
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寄り道(トイレ休憩…漏らした人はいません(`・ω・´)ゞ)をしながらも、なんとか昼食会場の兵庫県神戸市に在る中華料理 花咲く街角へ辿り着けました。
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かなりボリュームのある中華料理の数々にお腹が(”^ω^)・・・ヤバイです。
モデルは業務課のI君(かなり食べて、かなりお酒を飲んでいるそうです)う…う…産まれる
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お腹がいっぱいになった、大屋ハイテック一行はバスに乗り込み大阪市内に向かいます。大阪市内に着いてから夕食までの4時間は自由行動で、各々行きたい所へ行きました。


ちなみに私は、自身を含め4人で「日本一高いビルあべのハルカス」を見にいきました。
高さ288mにある展望台から見る大阪の景色は、サイコーでした(屋上が300m)。
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焼肉後は、みんな夜の街へと消えていきました………




次の日は、大阪を後に兵庫県姫路市にある「世界文化遺産、国宝・姫路城」に向かいました。9.jpg
時間の都合上、城には登れませんでしたが、遠くから見てもすごい迫力です。

姫路城
国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。
今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14(1609)年に建築されたもの。
400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。

姫路城公式HPより




昼食は、仕出し・割烹料理 ます徳で頂きました。10.jpg
茶そば、お吸い物もありお腹は満足(^○^)






昼食後は、兵庫県赤穗市にある「赤穗大石神社・大石邸長屋門」に向かいました。11.jpg

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商売繁盛を祈願中(”^ω^)


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忠臣蔵と大石神社
  元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、指南役の当家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという一大事件が起こった。
 長矩は将軍綱吉の独裁をもって即日切腹、浅野家は取り潰しとなる。これが第一の事件である
 元禄15年(1702)12月14日の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七義士が吉良屋敷に討入り見事主君の怨みを晴らし幕府の失政に一矢を酬いる事件が起こった。
 そして2ヵ月後の2月4日義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分をうけることにより劇的な終焉を遂げた。これが第二の事件で、この2つの事件を合わせたものが「忠臣蔵」である。
 大石神社は明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年11月、四十七義士命を祀る神社としてご鎮座になった。
 ご祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の
城主と、その後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してある。

大石神社HPより



すべての日程を無事行う事が出来て喜ばしいことです。
みんな行きのバスの様な元気は無く、帰りはシーンとしていました(1名を除いては…)。家に帰るまでが旅行だと思うので、気を引き締めて寝ていました(-_-)zzz

次の日からまたいつもの日常に戻ると思うと逃げたくなりますが、来年も旅行に行けるように頑張って仕事しますかねぇ( ̄д ̄) 今度は全員参加が目標

最後になりますが、お酒の飲み過ぎは体を壊す可能性があり、周りの人にも迷惑をかける事があるので、ほどほどに楽しみましょう。

以上












posted by 大屋 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | その他